日本のメダル最多41個

 リオデジャネイロ・オリンピックの最終日、日本選手が出場した男子マラソン、新体操団体、自転車の男子マウンテンバイクでは日本勢のメダル獲得はありませんでした。

 これにより、リオデジャネイロ・オリンピックにおける日本のメダル獲得総数は金メダル12個、銀メダル8個、銅メダル21個の合計41個で確定。前回のロンドン大会で獲得した38個を上回り、過去最高を更新しました。

 男子柔道が金2個を含む全階級メダル獲得を達成、お家芸復活を果たしたのを始め、テニスが96年ぶりのメダルを獲得。男子400メートルリレーの銀メダル、卓球男子団体の銀メダルなど、予想以上の活躍を見せた競技や、その他今大会で競技史上初めてメダルを獲得したケースが幾つもありました。

 一方で、過去には2大会連続金メダルを獲得した女子マラソンが惨敗するなど、課題も残しました。4年後はいよいよ東京オリンピックです。いうまでも無く今大会以上の、史上最多メダルが期待されます。

盛田幸妃さん死去

横浜大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)、近鉄バファローズ(現大阪オリックス・バファローズ)で投手として活躍し、脳腫瘍からの復活も遂げた盛田幸妃(もりた・こうき)さんが16日に亡くなりました。45歳でした。

盛田幸妃さんは1987年ドラフト1位で函館有斗高校から横浜大洋ホエールズに入団。1992年にはセットアッパーとして活躍し、当時クローザーだった佐々木主浩とともに「ダブルストッパー」と呼ばれ、規定投球回数に到達して最優秀防御率賞を受賞。その年のオールスター戦にも監督推薦で出場しました。

1996年のシーズンオフ、中根仁との交換トレードで近鉄バファローズに移籍。しかし、1998年に脳腫瘍が発覚。医師からは復帰は不可能との宣告を受けましたが、懸命なリハビリで翌1999年8月には二軍戦に登板できるようになり、同年シーズン最終戦で一軍復帰を果たし、2001年には34試合に登板して近鉄バファローズ12年振りのリーグ優勝に貢献しカムバック賞を受賞。

2002年に引退するまで、14年間で47勝34敗29セーブの成績を残しています。

引退後は横浜球団の職員を務めながら、TBSラジオ専属の野球解説者として活躍しましたが、2005年に脳腫瘍が再発。翌2006年に除去手術を受けて功も、2010年に脳腫瘍の転移した骨腫瘍が発生、2013年には脳腫瘍も再発するなどしていたそうです。

まだ45歳、死因は不明との事です。心よりご冥福をお祈りいたします。

石川遼、マスターズ予選落ち

アメリカ男子ゴルフ、マスターズの2日目が6日に行われ、52歳のベテラン、フレッド・カプルス(アメリカ)が7バーディー、2ボギーの67で回り、通算5アンダー、139の首位に立ちました。ジェイソン・ダフナー(35=アメリカ)も同5アンダーの首位に並んでいます。ロリー・マキロイ(22=イギリス)は69をマークし、同4アンダーの3位に浮上。タイガー・ウッズ(36=アメリカ)は75と崩れて、同3オーバー40位で辛くも予選通過しました。

日本勢では東北福祉大学3年の松山英樹(20)が74で回り、通算1オーバーの31位で、アマチュアながら2年連続の予選突破という快挙を達成。しかし、初日に73位と出遅れた石川遼(20=パナソニック)は、2日目も立て直す事が出来ず、3バーディー、5ボギー、1トリプルボギーの77、通算9オーバー77位で予選落ちしました。

石川遼が小学校の卒業文集に将来の夢として「20歳でマスターズ優勝」と書いていたのは有名な話ですが、残念ながらその夢が叶う事はありませんでした。もともと今年は出場さえ危ぶまれていたのですが、なんとか滑り込んだ形で出場は果たしたものの、初日から73位と出遅れると、2日目も立て直せず、マスターズの舞台を去ることになりました。
一方同い年のアマチュア松山は2年連続予選突破と見事な活躍で、石川に変わる日本男子ゴルフの救世主になりそうです。